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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

国の一切衆生なり。
  修行とは、「無疑曰信(疑いなきを信と曰う)」の信心のことなり。授与の人とは、本化地涌の菩薩なり云々。
第二十五 建立御本尊等の事
  御義口伝に云わく、この本尊の依文とは、「如来秘密・神通之力」の文なり。戒・定・慧の三学は、寿量品の事の三大秘法これなり。日蓮たしかに霊山において面授口決せしなり。本尊とは、法華経の行者の一身の当体なり云々。
第二十六 寿量品の対告衆の事
  御義口伝に云わく、経文は「弥勒菩薩」なり。しかりといえども、滅後を本とする故に、日本国の一切衆生なり。中にも、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者、これなり。「弥勒」とは、末法の法華の行者のことなり。「弥勒」をば「慈氏」と云う。法華の行者を指すなり。
  章安大師云わく「彼がために悪を除くは、即ちこれ彼が親なり」。これあに「弥勒菩薩」にあらずや云々。
第二十七 無作の三身の事 種子・尊形・三摩耶
  御義口伝に云わく、尊形とは、十界本有の形像なり。三摩耶とは、十界の所持の物なり。種子とは、信の一字なり。いわゆる南無妙法蓮華経改めざるを云うなり。三摩耶とは、合掌なり。秘すべし、秘すべし云々。