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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

第二十一 自我偈の事
  御義口伝に云わく、「自」とは、九界なり。「我」とは、仏身なり。「偈」とは、ことわるなり。本有とことわりたる偈頌なり。深くこれを案ずべし。偈り様とは南無妙法蓮華経なり云々。
第二十二 自我偈始終の事
  御義口伝に云わく、「自」とは、始めなり。「速成就仏身(速やかに仏身を成就す)」の「身」とは、終わりなり。始終、自身なり。中の文字は受用なり。よって、自我偈は自受用身なり。法界を自身と開き、法界自受用身なれば、自我偈にあらずということなし。
  自受用身とは、一念三千なり。伝教云わく「一念三千即自受用身。自受用身とは、尊形を出でたる仏なり」。「尊形を出でたる仏」とは、無作の三身ということなり云々。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者、これなり云々。
第二十三 「久遠」の事
  御義口伝に云わく、この品の所詮は「久遠実成」なり。「久遠」とは、はたらかさず、つくろわず、もとのままという義なり。無作の三身なれば初めて成ぜず、これ働かさざるなり。三十二相八十種好を具足せず、これ繕わざるなり。本有常住の仏なれば、本のままなり。これを「久遠」と云うなり。「久遠」とは、南無妙法蓮華経なり。実成、無作と開けたるなり云々。
第二十四 この寿量品の所化の国土と修行との事
  御義口伝に云わく、当品流布の国土とは、日本国なり。総じては南閻浮提なり。所化とは、日本