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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、この経文を免離せり云々。
第十八 「行道不行道(道を行じ道を行ぜず)」の事
  御義口伝に云わく、十界の衆生のことを説くなり。「行道」は四聖、「不行道」は六道なり。また云わく、「行道」は修羅・人・天、「不行道」は三悪道なり。詮ずるところ、末法に入っては、法華の行者は「行道」なり、謗法の者は「不行道」なり。「道」とは、法華経なり。天台云わく「仏道とは、別して今経を指す」。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、「行道」なり。唱えざるは、「不行道」なり云々。
第十九 「毎自作是念(つねに自らこの念を作す)」の事
  御義口伝に云わく、「毎」とは、三世なり。「自」とは、別しては釈尊、総じては十界なり。「是念」とは、無作本有の南無妙法蓮華経の一念なり。「作」とは、この「作」は有作の作にあらず、無作本有の作なり云々。
  広く十界本有に約して云わば、「自」とは、万法己々の当体なり。「是念」とは、地獄の呵責の音、その外一切衆生の念々、皆これ自受用報身の智なり。これを念とは云うなり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る念は、大慈悲の念なり云々。
第二十 「得入無上道(無上道に入ることを得)」等の事
  御義口伝に云わく、「無上道」とは、寿量品の無作の三身なり。この外に「成就仏身(仏身を成就す)」これ無し。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、「成就仏身」疑いなきなり云々。