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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

「霊鷲山」とは、寂光土なり。「時」に「我」も「及」も「衆僧」も、ともに霊鷲山に出ずるなり。秘すべし、秘すべし。本門事の一念三千の明文なり。御本尊はこの文を顕し出だしたもうなり。されば、「俱」とは不変真如の理なり、「出」とは随縁真如の智なり。「俱」とは一念なり、「出」とは三千なり云々。
  また云わく、「時」とは、本時娑婆世界の時なり。下は十界宛然の曼陀羅を顕す文なり。その故は、「時」とは、末法第五時の時なり。「我」とは釈尊、「及」は菩薩、「衆僧」は二乗、「俱」とは六道なり。「出」とは、霊山浄土に列出するなり。「霊山」とは、御本尊ならびに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり云々。
第十五 「衆生見劫尽○而衆見焼尽(衆生は劫尽くと見る○しかも衆は焼け尽くと見る)」の事
  御義口伝に云わく、本門寿量の一念三千を頌する文なり。「大火所焼時(大火に焼かるる時)」とは、実義には煩悩の大火なり。「我此土安穏(我がこの土は安穏なり)」とは、国土世間なり。「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所なり)」とは、衆生世間なり。「宝樹多華菓(宝樹は華菓多し)」とは、五陰世間なり。これ即ち一念三千を分明に説かれたり。
  また云わく、上件の文は十界なり。「大火」とは、地獄界なり。「天鼓」とは、畜生なり。「人」と「天」とは、人・天の二界なり。天と人と常に充満するなり。「雨曼陀羅華(曼陀羅華を雨らす)」とは、声聞界なり。「園林」とは、縁覚界なり。菩薩界とは、「及」の一字なり。仏界とは、「散仏」なり。修羅と餓鬼界とは、「憂怖諸苦悩 如是悉充満(憂怖諸の苦悩、かくのごとき、ことごとく充満す)」