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を除くなり。法華の行者、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、謗法の供養を受けざるは、貪欲の病を除くなり。法華の行者は、罵詈せらるれども忍辱を行ずるは、瞋恚の病を除くなり。法華経の行者は、「是人於仏道 決定無有疑(この人は仏道において、決定して疑いあることなけん)」と成仏を知るは、愚癡の煩悩を治するなり。されば、大良薬は末法の成仏の甘露なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、大良薬の本主なり。
第九 「毒気深入、失本心故(毒気は深く入って、本心を失えるが故に)」の事
御義口伝に云わく、「毒気深入」とは、権教の謗法の執情深く入りたる者なり。これによって法華の大良薬を信受せざるなり。服せしむといえども吐き出だすは、「而謂不美(しかも美からずと謂う)」とて、むまからずと云う者なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、「而謂不美」の者にあらざるなり。
第十 「是好良薬、今留在此。汝可取服。勿憂不差(この好き良薬を、今留めてここに在く。汝は取って服すべし。差えじと憂うることなかれ)」の事
御義口伝に云わく、「是好良薬」とは、あるいは経教、あるいは舎利なり。さて、末法にては南無妙法蓮華経なり。「好」とは、三世の諸仏の好み物は題目の五字なり。「今留」とは、末法なり。「此」とは、一閻浮提の中には日本国なり。「汝」とは、末法の一切衆生なり。「取」は、法華経を受持する時の儀式なり。「服」とは、唱え奉ることなり。服するより無作の三身なり。始成正覚の病患差ゆるなり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る、これなり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |