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不同なりといえども、ともに妙法蓮華経の修行なり。
この四菩薩は「下方」に住するが故に、釈に「法性の淵底、玄宗の極地」と云えり。「下方」をもって住処とす。「下方」とは真理なり。輔正記に云わく「『下方』とは、生公の云わく『理に住するなり』と」云々。この理の住処より顕れ出ずるを、事と云うなり。
また云わく、千草万木、地涌の菩薩にあらずということなし。されば、地涌の菩薩を本化と云えり。本とは、過去久遠五百塵点よりの利益として、無始無終の利益なり。この菩薩は本法所持の人なり。本法とは、南無妙法蓮華経なり。この題目は、必ず地涌の所持の物にして、迹化の菩薩の所持にあらず。この本法の体より用を出だして、止観と弘め、一念三千と云う。総じて大師・人師の所釈も、この妙法の用を弘め給うなり。
この本法を受持するは、信の一字なり。元品の無明を対治する利剣は、信の一字なり。「疑いなきを信と曰う」の釈、これを思うべし云々。
御義口伝巻上
弘安元年戊寅正月一日 執筆 日興
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |