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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

第五 「有人、来欲難問者、諸天昼夜(人有り、来って難問せんと欲せば、諸天は昼夜に)」等の事
  御義口伝に云わく、末法において法華を行ずる者をば、諸天の守護これ有るべし。「常為法故(常に法のための故に)」の「法」とは、南無妙法蓮華経これなり。

    涌出品一箇の大事
第一 「唱導之師(唱導の師)」の事
  御義口伝に云わく、涌出の一品は、ことごとく本化の菩薩のことなり。本化の菩薩の所作は、南無妙法蓮華経なり。これを「唱」というなり。「導」とは、日本国の一切衆生を霊山浄土へ引導することなり。末法の導師とは本化に限るというを「師」と云うなり。
  この四大菩薩のことを釈する時、疏の九を受けて輔正記の九に云わく「経に四導師有りとは、今、四徳を表す。『上行』は我を表し、『無辺行』は常を表し、『浄行』は浄を表し、『安立行』は楽を表す。ある時には、一人にこの四義を具す。二死の表に出ずるを『上行』と名づけ、断・常の際を踰ゆるを『無辺行』と称し、五住の垢累を超ゆるが故に『浄行』と名づけ、道樹にして徳円かなるが故に『安立行』と曰うなり」。
  今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、皆地涌の流類なり。
  また云わく、火は物を焼くをもって行とし、水は物を浄むるをもって行とし、風は塵垢を払うをもって行とし、大地は草木を長ずるをもって行とするなり。四菩薩の利益これなり。四菩薩の行は