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るなり。
提婆は火炎を顕し、竜女は大蛇を示し、文殊は智剣を顕すなり。よって、不動明王の尊形と口伝せり。提婆は我らが煩悩即菩提を顕すなり。竜女は生死即涅槃を顕すなり。文殊をば、ここには「妙徳」と翻ずるなり。煩悩・生死具足して当品の能化なり。
第八 「有一宝珠(一つの宝珠有り)」の事
文句の八に云わく「一とは、珠を献じて円解を得ることを表す」。
御義口伝に云わく、「一」とは、妙法蓮華経なり。「宝」とは、妙法の用なり。「珠」とは、妙法の体なり。妙の故に心法なり。法の故に色法なり。色法は「珠」なり、心法は「宝」なり。妙法とは色心不二なり。一念三千の所表として、竜女の宝珠を奉るなり。釈に「円解を得ることを表す」と云うは、一念三千なり。竜女が手に持てる時は、性得の宝珠なり。仏受け取り給う時は、修得の宝珠なり。中に有るは修性不二なり。「甚疾(はなはだ疾し)」とは、頓極・頓速・頓証の法門なり。「則為疾得 無上仏道(則ちこれ疾く無上の仏道を得ん)」なり。
「神力」とは、「神」は心法なり、「力」とは色法なり。「観我成仏(我が成仏を観よ)」とは、舎利弗の竜女が成仏と思うは僻事なり、我が成仏ぞと観よと責めたるなり。観に六即の観これ有り。ここもとの観は、名字即の観と心得べきなり。その故は、南無妙法蓮華経と聞けるところを、「一念も道場に坐すれば、成仏虚しからざるなり」と云えり。「変成男子(変じて男子と成る)」とは、竜女も本地は南無妙法蓮華経なり。その意、経文に分明なり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |