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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

  智積菩薩を元品の無明と云うことは、「不信此女(この女を信ぜず)」の不信の二字なり。「不信」とは、疑惑なり。疑惑を根本無明と云うなり。竜女を法性と云うことは、「我闡大乗教(我は大乗の教えを闡く)」の文なり。
  「竜女」とは、「竜」は父なり、「女」は八歳の娘なり。「竜女」の二字は、父子同時の成仏なり。その故は、「時竜王女(時に竜王の女)」の文これなり。既に「竜王女」と云うあいだ、「竜王」は父なり、「女」とは八歳の子なり。されば、女の成仏はこの品にあり。父の竜の成仏は序品にこれ在り。「有八竜王(八竜王有り)」の文これなり。しかりといえども、父子同時の成仏なり。序品は一経の序なる故なり。
  「又聞成菩提(また聞いて菩提を成ず)」とは、竜女が智積を責めたる言なり。されば、ただ我が成仏をば仏のみ御存知あるべしとて、「又聞成菩提 唯仏当証知(また聞いて菩提を成ずること、ただ仏のみ当に証知したもうべし)」と云えり。「苦衆生(苦の衆生)」とは、別して女人のことなり。この三行半の偈は、一念三千の法門なり。「遍照於十方(あまねく十方を照らしたもう)」とは、十界なり。
  殊には、この八歳の竜女の成仏は、帝王持経の先祖たり。人王の始めは、神武天皇なり。神武天皇は地神五代の第五の鵜萱葺不合尊の御子なり。この葺不合尊は豊玉姫の子なり。この豊玉姫は沙竭羅竜王の女なり。八歳の竜女の姉なり。しかるあいだ、先祖は法華経の行者なり。甚深、甚深云々。
  されば、この提婆の一品は、一天の腰刀なり。無明・煩悩の敵を切り、生死愛著の縄を切る秘法なり。漢高三尺の剣も一字の智剣に及ばざるなり。妙の一字の智剣をもって、生死・煩悩の縄を切