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だ、十界互具・百界千如・一念三千なり。
また云わく、「八歳」とは、法華経八巻なり。我ら八苦の煩悩なり。総じて、法華経の成仏は八歳なりと心得べし。八苦は即ち八巻なり。八苦・八巻は、即ち八歳の竜女と顕るるなり。
一義に云わく、「八歳」のことは「たまをひらく」と読むなり。「歳」とは、竜女の一心なり。「八」とは、三千なり。三千とは、法華の八巻なり。よって、「八歳」とは「開仏知見(仏知見を開く)」の所表なり。「智慧利根」より「能至菩提(能く菩提に至れり)」まで、法華に帰入するなり。この中に「心念口演(心に念い口に演ぶ)」とは、口業なり。「志意和雅(志意は和雅なり)」とは、意業なり。「悉能受持、深入禅定(ことごとく能く受持し、深く禅定に入る)」とは、身業なり。三業即三徳なれば、三諦法性なり。また云わく「心念」とは、一念なり。「口演」とは、三千なり。「悉能受持」とは、竜女、法華経を受持するの文なり。「歳」とは、如意宝珠なり、妙法なり。「八」とは、色心を妙法と開くなり。
第七 「言論未訖(言論いまだ訖わらず)」の事
御義口伝に云わく、この文は無明即法性の明文なり。その故は、智積の難問の言いまだ訖わらざるに、竜女、三行半の偈をもって答うるなり。難問の意は別教の意なり、無明なり。竜女の答えは円教の意なり、法性なり。智積とは、元品の無明なり、竜女とは、法性の女人なり。よって、無明に即する法性、法性に即する無明なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、「言論未訖」なり。「時」とは、上のことの末、末のことの始めなり。「時」とは、無明・法性同時の時なり。南無妙法蓮華経と唱え奉る時なり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |