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り。「若」の字は汝なり。天台云わく「法を受けて奉行す」。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、日蓮に違わずして宣説すべきなり。「阿私仙人」とは、南無妙法蓮華経なり云々。
第三 「採菓汲水、拾薪設食(菓を採り水を汲み、薪を拾い食を設く)」の事
御義口伝に云わく、「採菓」とは、癡煩悩なり。「汲水」とは、貪煩悩なり。「拾薪」とは、瞋煩悩なり。「設食」とは、慢煩悩なり。この下に八種の給仕これ有り。この外に妙法蓮華経の伝受これ無きなり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、即ち千歳給仕なり。これ即ち一念三千なり。貪・瞋・癡・慢を対治するなり。
第四 「情存妙法故 身心無懈倦(情に妙法を存せるが故に、身心に懈倦無し)」の事
御義口伝に云わく、「身心」の二字、色心は妙法なりと伝受するなり。日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉って即身成仏す。「身心無倦(身心倦きことなし)」とは、一念三千なり云々。
第五 「我於海中唯常宣説妙法華経(我は海中において、ただ常に妙法華経のみを宣説す)」の事
御義口伝に云わく、「我」とは、文殊なり。「海」とは、生死の海なり。「唯」とは、「唯有一乗法(ただ一乗の法のみ有り)」なり。「常」とは、「常住此説法(常にここに住して法を説く)」なり。「妙法華経」とは、法界の言語音声なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る、これなり。生死の海即ち真如の大海なり。「我」とは、法界の智慧なり、文殊なり云々。
第六 「年始八歳(年始めて八歳)」の事
御義口伝に云わく、「八歳」とは、八巻なり。提婆は地獄界なり、竜女は仏界なり。しかるあい
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |