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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

第十三 「若有能持 則持仏身(もし能く持つことあらば、則ち仏身を持つ)」の事
  御義口伝に云わく、法華経を持ち奉るとは、我が身は仏身なりと持つなり。「則」の一字は生仏不二なり。上の「能持」の「持」は、凡夫なり。持つ体は妙法の五字なり。「仏身を持つ」と云うは、一々文々皆金色の仏体の故なり。さて、仏身を持つとは、我が身の外に仏無しと持つを云うなり。理即の凡夫と究竟即の仏と二無きなり。即の字は、「即の故に初後不二なり」の故なり云々。
第十四 「此経難持(この経は持ち難し)」の事
  御義口伝に云わく、この法華経を持つ者は、難に値わんと心得て持つなり。されば、「則為疾得 無上仏道(則ちこれ疾く無上の仏道を得ん)」の成仏は、今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る、これなり云々。
第十五 「我則歓喜 諸仏亦然(我は則ち歓喜す。諸仏もまたしかなり)」の事
  御義口伝に云わく、「我」とは、心王なり。「諸仏」とは、心数なり。法華経を持ち奉る時は、心王・心数、同時に歓喜するなり。
  また云わく、「我」とは、凡夫なり。「諸仏」とは、三世の諸仏なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱えて歓喜する、これなり云々。
第十六 「読持此経(この経を読み持つ)」の事
  御義口伝に云わく、五種の修行の「読誦」と「受持」との二行なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、「読」なり。この経を持つは、「持」なり。「此経」とは、題目の五字なり云々。