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門」とは我らが色心の二法なり。「大城」とは、色法なり。「門」とは、口なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る時、無明の惑障却けて、己心の釈迦・多宝住するなり。「関鑰」とは、無明なり。「開」とは、法性なり。「鑰」とは、妙の一字なり。天台云わく「秘密の奥蔵を発く。これを称して妙となす」。妙の一字をもって「鑰」と心得べきなり。この経文は、謗法不信の関鑰を却けて己心の仏を開くということなり。「開仏知見(仏知見を開く)」、これを思うべし云々。
第十一 「摂諸大衆皆在虚空(諸の大衆を摂めて、皆虚空に在きたもう)」の事
御義口伝に云わく、「大衆」とは、聴衆なり。「皆在虚空」とは、我らが死の相なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は生死即涅槃と開覚するを、「皆在虚空」と説くなり。生死即涅槃と被摂するなり。「大地」とは色法なり、「虚空」とは心法なり。色心不二と心得べきなり。「虚空」とは寂光土なり。
また云わく、「虚空」とは蓮華なり。経とは「大地」なり。妙法は「天」なり。「虚空」とは中なり。一切衆生の内、菩薩、蓮華に座するなり。これを妙法蓮華経と説かれたり。経に云わく「若在仏前、蓮華化生(もし仏前に在らば、蓮華に化生せん)」。
第十二 「譬如大風 吹小樹枝(譬えば大風の小樹の枝を吹くがごとし)」の事
御義口伝に云わく、この偈頌の「如清涼池(清涼の池のごとし)」と「譬如大風」と「燃大炬火(大いなる炬火を燃す)」とは三身なり。その中に「譬如大風」とは、題目の五字なり。「吹小樹枝」とは、折伏門なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、大風の吹くがごとくなり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |