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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

よって言語の音声を指すなり。「善哉」とは、善悪不二・邪正一如なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る処を、多宝涌現と云うなり。
第八 「南・西・北方・四維・上下」の事
  御義口伝に云わく、四方・四維・上下、合して十方なり。即ち十界なり。十界の衆生共に三毒の光これ有り。これを「白毫」と云うなり。一心中道の智慧なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、十界同時の光指すなり。諸法実相の光明なるが故なり。
第九 「各齎宝華満掬(各宝華を齎ち掬に満つ)」の事
  御義口伝に云わく、「宝華」とは、合掌、一念三千の所表なり。「各」とは、十界なり。「満」の一字を一念三千と心得べし。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、仏に宝華を奉るなり。宝華は即ち宝珠なり。宝珠は即ち一念三千なり。「合掌以敬心 欲聞具足道(合掌し敬心をもって、具足の道を聞きたてまつらんと欲す)」、これなり云々。
第十 「如却関鑰開大城門(関鑰を却けて、大城の門を開くがごとし)」の事
  補註の四に云わく「この『開塔見仏(塔を開いて仏を見る)』は、けだし所表有るなり。何となれば則ち『開塔』は、即ち『開権(権を開く)』なり。『見仏』は、即ち『顕実(実を顕す)』なり。これまた前を証し、また将に後を起こさんとするのみ。『如却関鑰』とは、『却』は除なり。障り除こり機動くことを表す。謂わく、法身の大士、惑を破し理を顕し、道を増し生を損ずるなり」。
  御義口伝に云わく、「関鑰」とは、謗法なり、無明なり。「開」とは、我らが成仏なり。「大城