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華経は大音声なり。二十八品は小音声、題目は大音声なり。総じて、「大音声」とは、「大」は法界なり。法界の衆生の言語を妙法の音声と沙汰するを、「大音声」とは云うなり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、「大音声」なり。また云わく、「大」とは空諦、「音声」とは仮諦なり、「出」とは中道なり云々。
第五 「見大宝塔住在空中(大宝塔の空中に住せるを見る)」の事
御義口伝に云わく、「見大宝塔」とは、我らが一身なり。「住在空中」とは、我ら衆生、終に滅に帰することなり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉って信心に住する処、「住在空中」なり。虚空会に住するなり。
第六 「国名宝浄。彼中有仏、号曰多宝(国を宝浄と名づく。彼の中に仏有し、号づけて多宝と曰う)」の事
御義口伝に云わく、「宝浄世界」とは、我らが母の胎内なり。「有仏」とは、諸法実相の仏なり。ここをもって多宝仏と云うなり。胎内とは、煩悩を云うなり。煩悩の淤泥の中に真如の仏あり。我ら衆生のことなり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るを、当体蓮華の仏と云うなり云々。
第七 「於十方国土、有説法華経処、我之塔廟為聴是経故、涌現其前、為作証明、讃言善哉(十方の国土において、法華経を説く処有らば、我が塔廟はこの経を聴かんがための故に、その前に涌現して、ために証明と作って、讃めて善きかなと言わん)」の事
御義口伝に云わく、「十方」とは、十界なり。「法華経」とは、我ら衆生の流転の十二因縁なり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |