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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

  今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者のことなり。
第十四 「随順是師学(この師に随順して学す)」の事
  御義口伝に云わく、「是師」とは、日蓮等の類いなり。「学」とは南無妙法蓮華経なり。「随順」とは、信受なり云々。
第十五 「師」「学」の事
  御義口伝に云わく、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と学する者は一念三千なり。「師」も「学」も共に法界三千の師学なり。
第十六 「得見恒沙仏(恒沙の仏を見たてまつることを得)」の事
  御義口伝に云わく、「見恒沙仏」とは、「見宝塔」ということなり。「恒沙仏」とは、「多宝」のことなり。多宝の「多」とは法界なり、「宝」とは一念三千の開悟なり。法界を多宝仏と見るを、「見恒沙仏」と云うなり。故に、法師品の次に宝塔品は来るなり。解・行・証の法師の乗り物は宝塔なり云々。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、妙解・妙行・妙証、不思議の解・不思議の行・不思議の証得なり。真実一念三千の開悟なり云々。
  この「恒沙」というは、悪を滅し善を生ずる河なり。「恒沙仏」とは、一々文々皆金色の仏体なり。「見」の字、これを思うべし。仏見ということなり。「随順」とは、仏知見なり。「得見」の「見」の字と「見宝塔」の「見」とは、依正の二報なり。「得見恒沙」の「見」は正報なり、「見宝塔」の「見」は依報なり云々。