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人能到」の者にあらざるなり云々。
第六 「聞法信受、随順不逆(法を聞いて信受し、随順して逆らわず)」の事
御義口伝に云わく、「聞」とは、名字即なり。「法」とは、題目なり。「信受」とは、受持なり。「随順不逆」とは、本迹二門に随順するなり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者のことなり。
第七 「衣」「座」「室」の事
御義口伝に云わく、「衣」「座」「室」とは、法・報・応の三身なり。空・仮・中の三諦、身・口・意の三業なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、この三軌を一念に成就するなり。「衣」とは、「柔和忍辱衣(柔和忍辱の衣)」「当著忍辱鎧(当に忍辱の鎧を著るべし)」、これなり。「座」とは、不惜身命の修行なれば、空の座に居するなり。「室」とは、慈悲に住して弘むる故なり。母の子を思うがごとくなり。あに一念に三軌を具足するにあらずや。
第八 「欲捨諸懈怠 応当聴此経(諸の懈怠を捨てんと欲せば、応当にこの経を聴くべし)」の事
御義口伝に云わく、「諸懈怠」とは、四十余年の方便の経教なり。ことごとく皆懈怠の経なり。「此経」とは、題目なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、これ即ち精進なり。「応当聴此経」はこれなり。応に日蓮にこの経を聞くべしと云えり云々。
第九 「不聞法華経 去仏智甚遠(法華経を聞かずんば、仏智を去ること、はなはだ遠し)」の事
御義口伝に云わく、「不聞」とは、謗法なり。成仏の智を遠ざかるべきなり。今、日蓮等の類い、
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |