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ごとく具足して一念三千の法師なり。また云わく、「法」とは題目、「師」とは日蓮等の類いなり。
第二 「成就大願、愍衆生故、生於悪世、広演此経(大願を成就して、衆生を愍れむが故に、悪世に生まれて、広くこの経を演ぶ)」の事
御義口伝に云わく、「大願」とは、法華弘通なり。「愍衆生故」とは、日本国の一切衆生なり。「生於悪世」の人とは、日蓮等の類いなり。「広」とは、南閻浮提なり。「此経」とは、題目なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るなり。
第三 「如来所遣、行如来事(如来に遣わされて、如来の事を行ず)」の事
御義口伝に云わく、法華の行者は如来の使いに来れり。「如来」とは釈迦、「如来事」とは南無妙法蓮華経なり。「如来」とは、十界三千の衆生のことなり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、真実の御使いなり云々。
第四 「与如来共宿(如来とともに宿す)」の事
御義口伝に云わく、法華の行者は、男女共に「如来」なり。煩悩即菩提・生死即涅槃なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、「与如来共宿」の者なり。傅大士の釈に云わく「朝々仏とともに起き、夕々仏とともに臥す。時々に成道し、時々に顕本す」云々。
第五 「是法華経蔵、深固幽遠、無人能到(この法華経の蔵は、深固幽遠にして、人の能く到るもの無し)」の事
御義口伝に云わく、「是法華経蔵」とは、題目なり。「深固」とは、本門なり。「幽遠」とは、迹門なり。「無人能到」とは、謗法なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、「無
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |