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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

法蓮華経と唱え奉るは、「学・無学」の人に、「如我等無異(我がごとく等しくして異なることなし)」の記を授くるにあらずや。色法は無学なり、心法は学なり。また、心法は無学なり、色法は学なり。学・無学の人とは日本国の一切衆生なり。智者・愚者おしなべて、南無妙法蓮華経の記を説いて「而強毒之(しかも強いてこれを毒す)」するなり。
第二 「山海慧自在通王仏」の事
  御義口伝に云わく、「山」とは、煩悩即菩提なり。「海」とは、生死即涅槃なり。「慧」とは、我らが吐くところの言語なり。「自在」とは、無障礙なり。「通王」とは、十界互具・百界千如・一念三千なり。
  また云わく、「山」とは、迹門の意なり。「海」とは、本門の意なり。「慧」とは、妙法の五字なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、「山海慧自在通王仏」なり。全く外にあらざるなり。我ら行者の外に「阿難」これ無きなり。「阿難」とは歓喜なり。一念三千の開覚なり云々。

    法師品十六箇の大事
第一 「法師」の事
  御義口伝に云わく、「法」とは、諸法なり。「師」とは、諸法直ちに師と成るなり。森羅三千の諸法直ちに師と成り弟子となるべきなり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、法師の中の大法師なり。諸法実相の開覚顕れて見れば、地獄の灯燃猛火、乃至仏果に至るまで、こと