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となり。三千塵点の当初に悪縁の酒を吞んで、五道・六道に酔い廻って、今、謗法の家に臥したり。「酔」とは不信なり、「覚」とは信なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る時、無明の酒醒めたり。
また云わく、「酒」に重々これ有り。権教は酒、法華経は醒めたり。本迹相対する時、迹門は酒なり、始覚の故なり。本門は醒めたり、本覚の故なり。また本迹二門は酒なり、南無妙法蓮華経は醒めたり。酒と醒むるとは相離れざるなり。酒は無明なり、醒むるは法性なり。法は酒なり、妙は醒めたり。妙法と唱うれば無明・法性体一なり。止の一に云わく「無明・塵労は、即ちこれ菩提なり」。
第三 「身心遍歓喜(身心はあまねく歓喜す)」の事
御義口伝に云わく、「身」とは、生死即涅槃なり。「心」とは、煩悩即菩提なり。「遍」とは、十界同時なり。「歓喜」とは、法界同時の歓喜なり。この歓喜の内には三世諸仏の歓喜納まるなり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、「我則歓喜(我は則ち歓喜す)」とて、釈尊歓喜したもうなり。「歓喜」とは、善悪共に歓喜するなり。十界同時なり。深くこれを思うべし云々。
人記品二箇の大事
第一 「学・無学」の事
御義口伝に云わく、「学」とは、無智なり。「無学」とは、有智なり。今、日蓮等の類い、南無妙
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |