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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

とは、五識なり。我ら衆生の観法の大体なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、あに「我観一切 普皆平等」の九識の修行にあらずや。しかれば、「無有彼此」にあらずや。「愛憎之心」にあらずや。「我無貪著」にあらずや。「亦無限礙」にあらずや。

    授記品四箇の大事
第一 「授記」の事
  文句の七に云わく「『授』は、これ与の義なり」。
  御義口伝に云わく、「記」とは、南無妙法蓮華経なり。「授」とは、日本国の一切衆生なり。不信の者には授けざるなり、また、これを受けざるなり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経の記を受くるなり。
  また云わく、「授記」とは、法界の授記なり。地獄の授記は悪因なれば、悪業の授記を罪人に授くるなり。余はこれに準じて知るべきなり。生の記有れば、必ず死す。死の記あれば、また生ず。三世常恒の授記なり。詮ずるところ、中根の四大声聞とは、我らが生老病死の四相なり。迦葉は生の相、迦旃延は老の相、目連は病の相、須菩提は死の相なり。法華に来って、生老病死の四相を四大声聞と顕したり。これ即ち八相作仏なり、諸法実相の振る舞いなりと記を授くるなり。
  妙法の授記なるが故に、法界の授記なり。蓮華の授記なるが故に、法界清浄なり。経の授記なるが故に、衆生の語言音声は三世常恒の授記なり。ただ一言に授記すべき南無妙法蓮華経なり云々。