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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

生の父なり。この父に背くが故に、流転の凡夫となる。釈尊は一切衆生の父なり。この仏に背くが故に、つぶさに諸道を輪るなり。今、日蓮は日本国の一切衆生の父なり。章安大師云わく「彼がために悪を除くは、即ちこれ彼が親なり」。「大を退する」の「大」は、南無妙法蓮華経なり。「無明」とは、疑惑・謗法なり。「自ずから覆う」とは、法然・弘法・慈覚・智証・道隆・良観等の悪比丘、謗法の失をほしいままに覆いかくすなり。
第三 「加復窮困(ますますまた窮困す)」の事
  文句の六に云わく「出要の術を得ざるをまた『窮』となし、八苦の火に焼かるるが故に『困』となす」。
  御義口伝に云わく、「出要」とは、南無妙法蓮華経なり。「術」とは、信心なり。今、日蓮等の類い、「窮困」を免離することは、法華経を受持し奉るが故なり。また云わく、妙法に値い奉る時は、八苦の煩悩の火、自受用報身の智火と開覚するなり云々。
第四 「心懐悔恨(心に悔恨を懐く)」の事
  文句の六に云わく「『悔』は父に約し、『恨』は子に約す」。記の六に云わく「父にも『悔恨』あり、子にも『悔恨』あり」。
  御義口伝に云わく、日本国の一切衆生は「子」のごとく、日蓮は「父」のごとし。法華不信の失によって無間大城に堕ちて、返って日蓮を恨みん。また日蓮も、音も惜しまず法華を捨つべからずと云うべきものを、霊山にて悔ゆることこれ有るべきか。文句の六に云わく「『心懐悔恨』とは、