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之所焼煮(見るところの諸の衆生は、生老病死の焼煮するところとなる)』を頌して、第二の見るところの火の譬えを合す。『唯我一人(ただ我一人のみ)』より下、第三に半偈は、上の『仏見此已、便作是念(仏はこれを見已わって、便ちこの念を作す)』を頌して、『驚入火宅(驚いて火宅に入る)』を合するなり」。
御義口伝に云わく、この文は一念三千の文なり。一念三千の法門は、迹門には生・陰二千の世間を明かし、本門には国土世間を明かすなり。
また云わく、「今此三界」の文は、国土世間なり。「其中衆生(その中の衆生)」の文は、五陰世間なり。「而今此処 多諸患難 唯我一人(しかるに今この処は、諸の患難多し。ただ我一人のみ)」の文は、衆生世間なり。
また云わく、「今此三界」は、法身如来なり。「其中衆生 悉是吾子(その中の衆生は、ことごとくこれ吾が子なり)」は、報身如来なり。「而今此処」等は、応身如来なり。
信解品六箇の大事
第一 「信解品」の事
記の六に云わく「正法華には『信楽品』と名づく。その義通ずといえども、『楽』は『解』に及ばず。今、領解を明かす。何をもってか『楽』と云わん」。
御義口伝に云わく、法華一部二十八品の題号の中に、「信解」の題号、この品にこれ有り。一念三千も「信」の一字より起こり、三世の諸仏の成道も「信」の一字より起こるなり。この「信」の
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |