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詮ずるところ、鏡の能徳とは、万像を浮かぶるを本とせり。妙法蓮華経の五字は、万像を浮かべて一法も残る物これ無し。
また云わく、鏡において五鏡これ有り。妙の鏡には法界の不思議を浮かべ、法の鏡には法界の体を浮かべ、蓮の鏡には法界の果を浮かべ、華の鏡には法界の因を浮かべ、経の鏡には万法の言語を浮かべたり。
また云わく、妙の鏡には華厳を浮かべ、法の鏡には阿含を浮かべ、蓮の鏡には方等を浮かべ、華の鏡には般若を浮かべ、経の鏡には法華を浮かぶるなり。順逆次第して意得べきなり。我ら衆生の五体・五輪、妙法蓮華経と浮かび出でたるあいだ、宝塔品をもって鏡と習うなり。信・謗の浮かび様、能く能くこれを案ずべし。自浮自影の鏡とは、南無妙法蓮華経これなり云々。
第八 「唯有一門(ただ一門のみ有り)」の事
文句の五に云わく「『唯有一門』とは、上の『以種々法門 宣示於仏道(種々の法門をもって、仏道を宣示す)』を譬う。『門』にまた二つあり。宅門と車門となり。宅とは、生死なり。門とは、出要の路なり。これは方便教の詮なり。車とは、大乗の法なり。門とは、円教の詮なり」。
御義口伝に云わく、「一門」とは、法華経の信心なり。「車」とは、法華経なり。「牛」とは、南無妙法蓮華経なり。「宅」とは、煩悩なり。自身法性の大地を、生死生死と転り行くなり云々。
第九 「今此三界(今この三界)」等の事
文句の五に云わく「次に『今此三界』より下、第二に一行半は、上の『所見諸衆生、為生老病死
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |