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説くなり。
「合掌」において、また二つの意これ有り。「合」とは妙なり、「掌」とは法なり。また云わく、「合」とは妙法蓮華経なり、「掌」とは二十八品なり。また云わく、「合」とは仏界なり、「掌」とは九界なり。九界は権、仏界は実なり。妙楽大師云わく「九界を権となし、仏界を実となす」。十界ことごとく「合掌」の二字に納まって、森羅三千の諸法は合掌にあらざることなきなり。
総じて、三種の法華の合掌これ有り。今の妙法蓮華経は、三種の法華未分なり。しかりといえども、まず顕説法華を正意となすなり。これによって伝教大師は「『於一仏乗(一仏乗において)』とは、根本法華の教えなり○妙法の外、さらに一句の余経すら無し」と。「向仏」とは、一々文々は皆金色の仏体なりと向かい奉ることなり。「合掌」の二字に法界を尽くしたるなり。地獄・餓鬼の己々の当体、その外、三千の諸法、そのまま「合掌向仏」なり。
しかるあいだ、法界ことごとく「舎利弗」なり。「舎利弗」とは法華経なり。「舎」とは空諦、「利」とは仮諦、「弗」とは中道なり。円融三諦の妙法なり。「舎利弗」とは梵語、ここには「身子」と云う。「身子」とは、十界の色心なり。「身」とは十界の色法、「子」とは十界の心法なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、ことごとく「舎利弗」なり。舎利弗は即ち釈迦如来、釈迦如来は即ち法華経、法華経は即ち我らが色心の二法なり。よって、身子はこの品の時、「聞此法音(この法音を聞く)」と領解せり。「聞」とは名字即、「法音」とは諸法の音なり。諸法の音とは妙法なり。ここをもって文句に釈する時、「長風息むことなし」と。「長風」とは、法界の音声
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |