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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

諸の貞実のみ有り)」なり。詮ずるところ、「貞実」とは、色心を妙法と開くことなり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るところを、「唯有諸貞実」と説くなり。「諸」とは、諸法実相の仏なり。「諸」は、十界なり。「貞実」は、十界の色心を妙法と云うなり。今経に限る故に、「唯」と云うなり。
  五千の上慢の外、全く法華経これ無し。五千の慢人とは、我らが五大なり。五大は即ち妙法蓮華経なり。五千の上慢は、元品の無明なり。故に「礼仏而退」なり。これは九識・八識・六識と下る分なり。流転門の談道なり。「仏威徳故去」とは、還滅門なり。しかれば、「威徳」とは、南無妙法蓮華経なり。本迷本悟の全体なり。能く能くこれを案ずべし云々。
第六 「如我等無異 如我昔所願(我がごとく等しくして異なることなからしめん。我が昔の所願のごとき)」の事
  疏に云わく「因を挙げて信を勧む」。
  御義口伝に云わく、「我」とは釈尊、「我実成仏久遠(我実に成仏してより久遠なり)」の仏なり。この本門の釈尊は、我ら衆生のことなり。「如我」の「我」は、十如是の末の七如是なり。九界の衆生は、始めの三如是なり。我ら衆生は親なり、仏は子なり。父子一体にして、本末究竟等なり。
  この我らを寿量品に無作の三身と説きたるなり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱うる者これなり。
  ここをもってこれを思うに、釈尊の総別の二願とは、我ら衆生のために立てたもうところの願なり。この故に、南無妙法蓮華経と唱え奉って、日本国の一切衆生を我成仏せしめんというところ