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御義口伝巻上 日蓮所立。序品より涌出品に至る。
序品七箇の大事
第一 「如是我聞(かくのごときを我聞きき)」の事
文句の一に云わく「『如是』とは、所聞の法体を挙ぐ。『我聞』とは、能持の人なり」。記の一に云わく「故に、始末の一経を所聞の体となす」。
御義口伝に云わく、「所聞」の「聞」は、名字即なり。「法体」とは、南無妙法蓮華経なり。「能持」の「能」の字、これを思うべし。次に、記の一の「故に、始末の一経」の釈は、「始」とは序品なり、「末」とは普賢品なり。「法体」とは、心ということなり。法とは、諸法なり。諸法の心ということなり。諸法の心とは、妙法蓮華経なり。伝教云わく「法華経を讃むといえども、還って法華の心を死す」と。「死」の字に心を留めてこれを案ずべし。不信の人は「如是我聞」の「聞」にはあらず。法華経の行者は、「如是」の体を聞く人と云うべきなり。ここをもって文句の一に云わく「『如是』とは信順の辞なり。信ずれば則ち所聞の理会し、順ずれば則ち師資の道成ず」。詮ずるところ、日蓮等の類いをもって「如是我聞」の者と云うべきなり云々。
第二 「阿若憍陳如」の事
疏の一に云わく「『憍陳如』は、姓なり。ここには『火器』と翻ず。婆羅門種なり。その先、火
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |