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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

の中に、常施の名これ無し。「見ず」と申すも道理なり。いかにいわんや、次下に「しかるに諸の衆生は、出没して法を説き人を度したもうこと有りと見る」云々。何ぞ、不説の一句を留めて可説の妙理を失うべき。
 汝が立義、一々大僻見なり。執情を改めて法華に帰伏すべし。しからずんば、あに無道心にあらずや。

(053)

諸宗問答抄

 建長7年(ʼ55) 34歳

 問うて云わく、そもそも法華宗の法門は、天台・妙楽・伝教等の御釈をば御用い候や、いかん。
 答えて云わく、最もこの御釈どもを明鏡の助証として立て申す法門にて候。
 問うて云わく、何を明鏡として立てられ候ぞや。彼の御釈どもには、爾前・権教を簡い捨てらるること候わず。したがって、あるいは「初後の仏慧、円頓の義は斉し」とも、あるいは「この妙、彼の妙、妙の義は殊なることなし」とも釈せられて、華厳と法華との仏慧は、同じ仏慧にて異なることなしと釈せられ候。通教・別教の仏慧も法華と同じと見えて候。何をもって、ひとえに法華勝れた