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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

中に広長舌相を得たまえり。
 この舌、うすくひろくながし。あるいは面におおい、あるいは髪際にいたり、あるいは梵天にいたる。舌の上に五つの画あり。印文のごとし。その舌の色は赤銅のごとし。舌の下に二つの珠あり。甘露を涌出す。これ不妄語戒の徳の至すところなり。仏この舌をもって、「三世の諸仏の御眼を大地に堕とすとも、法界の女人は仏になるべからず」ととかれしかば、一切の女人はいかなる世にも仏にはならせ給うまじきとこそおぼえて候え。さるにては、女人の御身を受けさせ給いては、たといきさき・さんこうの位にそなわりてもなにかはすべき。善根・仏事をなしてもよしなしとこそおぼえ候え。しかるを、この法華経の薬王品に女人の往生をゆるされ候いぬること、また不思議に候。彼の経の妄語か、この経の妄語か、いかにも一方は妄語たるべきか。もしまた一方妄語ならば、一仏に二言あり。信じ難きことなり。
 ただし、無量義経の「四十余年にはいまだ真実を顕さず」、涅槃経の「如来には虚妄の言無しといえども、もし衆生、虚妄の説に因ると知ろしめさば」の文をもってこれを思わば、仏は女人は往生・成仏すべからずと説かせ給いけるは、妄語と聞こえたり。妙法華経の文に「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたもうべし」「妙法華経乃至皆これ真実なり」と申す文をもってこれを思うには、女人の往生・成仏は決定せりと説かるる法華経の文は、実語・不妄語戒と見えたり。
 世間の賢人も、ただ一人ある子が、不思議なる時、あるいは失有る時は、永く子たるべからざるの理、起請を書き、あるいは誓言を立つるとも、終の命終の時に臨んでこれを許す。しかりといえども、