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りといえども、一劫二劫乃至十劫の間は六道に沈輪し、十劫を経て不退の位に入り、永く六道の苦を受けざるを、不退の菩薩と云う。いまだ仏に成らず、還って六道に入れども、苦無きなり。
第十に仏界とは、菩薩の位において四弘誓願を発すをもって戒となす。三僧祇の間、六度万行を修し、見思・塵沙・無明の三惑を断じ尽くして仏と成る。故に、心地観経に云わく「三僧企耶大劫の中につぶさに百千の諸の苦行を修し、功徳円満して法界に遍く、十地究竟して三身を証す」文。因位において諸の戒を持ち、仏果の位に至って仏身を荘厳す。三十二相八十種好は、即ちこの戒の功徳の感ずるところなり。ただし、仏果の位に至れば、戒体失す。譬えば、花の果と成って花の形無きがごとし。故に、天台、梵網経疏に云わく「仏果に至って乃ち廃す」文。
問うて云わく、梵網経等の大乗戒は、現身に七逆を造れると、ならびに決定性の二乗とを許すや。
答えて云わく、梵網経に云わく「もし戒を受けんと欲する時は、師、応に問うて言うべし。『汝、現身に七逆の罪を作らずや』と。菩薩の法師は、七逆の人のために現身に戒を受けしむることを得ず」文。この文のごとくんば、七逆の人は現身に受戒を許さず。大般若経に云わく「もし菩薩、たとい恒河沙劫に妙なる五欲を受くとも、菩薩戒においてはなお犯と名づけず。もし一念に二乗の心を起こさば、即ち名づけて犯となす」文。大荘厳論に云わく「つねに地獄に処るといえども、大菩提を障えず。もし自利の心を起こさば、これ大菩提の障りなり」文。これらの文のごとくんば、六凡においては菩薩戒を授け、二乗においては制止を加うるものなり。二乗戒を嫌うは、二乗の持つところの五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒等を嫌うにあらず。彼の戒は菩薩も持つべし。ただ二乗の心念を
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(026)十法界明因果抄 | 文応元年(’60)4月21日 | 39歳 |