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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 答えて云わく、梵網経に菩薩戒を受くる者を列ねて云わく「もし仏戒を受くる者は、国王・王子・百官・宰相・比丘・比丘尼・十八梵天・六欲天子・庶民・黄門・婬男・婬女・奴婢・八部・鬼神・金剛神・畜生、乃至変化人にもあれ、ただ法師の語のみを解せば、ことごとく戒を受得す。皆第一清浄の者と名づく」文。この中において二乗無きなり。方等部の結経たる瓔珞経にもまた二乗無し。
 問うて云わく、二乗の持つところの不殺生戒と菩薩の持つところの不殺生戒と、差別いかん。
 答えて云わく、持つところの戒の名は同じといえども、持つ様ならびに心念永く異なるなり。故に戒の功徳もまた浅深あり。
 問うて云わく、異なる様、いかん。
 答えて云わく、二乗の不殺生戒は、永く六道に還らんと思わず。故に化導の心無し。また仏菩薩と成らんと思わず、ただ灰身滅智の思いを成すなり。譬えば、木を焼き灰となしての後に一塵も無きがごとし。故に、この戒をば瓦器に譬う。破れて後、用いることなきが故なり。菩薩はしからず。饒益有情戒を発してこの戒を持つが故に、機を見て五逆・十悪を造り同じく犯せども、この戒は破れず。還っていよいよ戒体を全くす。故に、瓔珞経に云わく「犯すこと有れども、失せず、未来際を尽くす」文。故に、この戒をば金銀の器に譬う。完くして、持つ時も破る時も、永く失せざるが故なり。
 問うて云わく、この戒を持つ人は、幾劫を経てか成仏するや。
 答えて云わく、瓔珞経に云わく「いまだ住に上らざる前○もしは一劫二劫三劫乃至十劫を経て、初住の位の中に入ることを得」文。文の意は、凡夫においてこの戒を持つを、信位の菩薩と云う。しか