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いを受く」。また云わく「名利を貪らんがために不浄説法せるの者、この報いを受く」。また云わく「昔酒を酤るに水を加えたる者、この報いを受く」。また云わく「もし人労して少かなる物を得たるを、誑惑して取り用いけるの者、この報いを受く」。また云わく「昔行路の人の病苦あって疲極せるに、その売れるを欺き取り、直を与うること薄少なりしの者、この報いを受く」。また云わく「昔刑獄を典主り、人の飲食を取りしの者、この報いを受く」。また云わく「昔陰涼樹を伐り、および衆僧の園林を伐りしの者、この報いを受く」文。
法華経に云わく「もし人信ぜずして、この経を毀謗せば○常に地獄に処すること、園観に遊ぶがごとく、余の悪道に在ること、己が舎宅のごとし」文。慳貪・偸盗等の罪によって餓鬼道に堕つることは、世人知り易し。慳貪等無き諸の善人も、謗法により、また謗法の人に親近し、自然にその義を信ずるによって餓鬼道に堕つることは、智者にあらずんば、これを知らず。能く能く恐るべきか。
第三に畜生道とは、愚癡・無慙にして、いたずらに信施の他物を受けてこれを償わざるの者、この報いを受くるなり。法華経に云わく「もし人信ぜずして、この経を毀謗せば○当に畜生に堕つべし」文〈已上、三悪道なり〉。
第四に修羅道とは、止観の一に云わく「もしその心、念々に常に彼に勝らんことを欲し、耐えざれば人を下し、他を軽しめ、己を珍ぶこと、鵄の高く飛んで下し視るがごとし。しかも、外には仁・義・礼・智・信を揚げて下品の善心を起こし、阿修羅の道を行ずるなり」文。
第五に人道とは、報恩経に云わく「三帰五戒は人に生まる」文。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(026)十法界明因果抄 | 文応元年(’60)4月21日 | 39歳 |