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れてき。これはいかにとしてまけ給いけるぞ。国王の身として民のごとくなる義時を打ち給わんは、鷹の雉をとり、猫の鼠を食むにてこそあるべけれ。これは猫のねずみにくらわれ、鷹の雉にとられたるようなり。
しかのみならず、調伏、力を尽くせり。いわゆる、天台座主・慈円僧正、真言の長者、仁和寺の御室、園城寺の長吏、総じて七大寺・十五大寺、智慧・戒行は日月のごとく、秘法は弘法・慈覚等の三大師の心中の深密の大法、十五壇の秘法なり。五月十九日より六月の十四日にいたるまで、あせをながし、なずきをくだきて行いき。
最後には、御室、紫宸殿にして、日本国にわたりていまだ三度までも行わぬ大法、六月八日始めてこれを行うほどに、同じき十四日に、関東の兵軍、宇治・勢多をおしわたして洛陽に打ち入って、三院を生け取り奉って、九重に火を放って一時に焼失す。三院をば三国へ流罪し奉りぬ。また公卿七人は、たちまちに頸をきる。しかのみならず、御室の御所に押し入って、最愛の弟子の小児・勢多伽と申せしをせめいだして、終に頸をきりにき。御室堪えずして思い死に給い畢わんぬ。母も死に、童も死ぬ。すべてこのいのりをたのみし人、いく千万ということをしらず死ににき。たまたまいきたるもかいなし。御室、祈りを始め給いし六月八日より、同じき十四日まで、なかをかぞうれば、七日に満じける日なり。
この十五壇の法と申すは、一字金輪・四天王・不動・大威徳・転法輪・如意輪・愛染王・仏眼・六字・金剛童子・尊星王・太元・守護経等の大法なり。この法の詮は、国敵・王敵となる者を降伏して、命を
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(014)本尊問答抄 | 弘安元年(’78)9月 | 57歳 | 浄顕房 |