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を離れなんや。
この由を弁えざる末代の学者等、ならびに法華経を修行する初心の人々、かたじけなく阿弥陀経を読み念仏を申して、あるいは法華経に鼻を並べ、あるいは後にこれを読んで法華経の肝心とし、功徳を阿弥陀経等にあつらえて西方へ回向し往生せんと思うは、譬えば、飛竜が驢馬を乗り物とし、師子が野干をたのみたるか。はたまた、日輪出現の後の衆星の光、大雨の盛んなる時の小露なり。故に、教大師云わく「白牛を賜う朝には、三車を用いず。家業を得る夕べには、何ぞ除糞を須いん。故に、経に云わく『正直に方便を捨てて、ただ無上道を説くのみ』と」。また云わく「日出でぬれば星隠れ、巧みを見て拙きを知る」云々。
法華経出現の後は、已今当の諸経の捨てらるることは勿論なり。たとい修行すとも、法華経の所従にてこそあるべきに、今の日本国の人々、道綽が「いまだ一人も得る者有らず」、善導が「千の中に一りも無し」、恵心が往生要集の序、永観が十因、法然が捨閉閣抛等を堅く信じて、あるいは法華経を抛って一向に念仏を申す者もあり、あるいは念仏を本として助けに法華経を持つ者もあり、あるいは弥陀念仏と法華経とを鼻を並べて左右に念じて二行と行ずる者もあり、あるいは念仏と法華経とは一法の二名なりと思って行ずる者もあり。
これらは、皆、教主釈尊の御屋敷の内に居して、師主をば指し置き奉って、阿弥陀堂を釈迦如来の御所領の内に国ごとに郷ごとに家々ごとに並べ立て、あるいは一万二万、あるいは七万返、あるいは一生の間一向に修行して、主師親をわすれたるだに不思議なるに、あまつさえ、親父たる教主釈尊
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(013)下山御消息 | 建治3年(’77)6月 | 56歳 | 下山光基 |