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雨種々なり。あるいは天の雨、あるいは竜の雨、あるいは修羅の雨、あるいは麤雨、あるいは甘雨、あるいは雷雨等あり。今の祈雨はすべて一雨も下らざる上、二七日が間、前よりはるかに超過せる大旱魃・大悪風、十二時に止まることなし。両火房真の人ならば、たちまちに邪見をもひるがえし、跡をも山林にかくすべきに、その義なくして、面を弟子檀那等にさらす上、あまつさえ、讒言を企て日蓮が頸をきらせまいらせんと申す上、あずかる人の国まで状を申し下して種をたたんとする大悪人なり。しかるを、無智の檀那等は恃怙して、現世には国をやぶり、後生には無間地獄に堕ちなんことの不便さよ。
起世経に云わく「諸の衆生有って放逸をなし、清浄の行を汚すが故に、天、雨を下らさず」。また云わく「不如法あり。慳貪・嫉妬・邪見・顚倒なるが故に、天則ち雨を下らさず」。また経律異相に云わく「五事有って雨無し。一・二・三、〈これを略す〉四には雨師婬乱、五には国王理治めず、雨師瞋るが故に、雨らず」云々。これらの経文の亀鏡をもって両火房が身に指し当てて見よ。少しもくもりなからん。一には名は持戒ときこゆれども実には放逸なるか、二には慳貪なるか、三には嫉妬なるか、四には邪見なるか、五には婬乱なるか。この五つにはすぐべからず。
また、この経は両火房一人には限るべからず。昔をかがみ、今をもしれ。弘法大師の祈雨の時、二七日の間、一雨も下らざりしもあやしきことなり。しかるを、誑惑の心強盛なりし人なれば、天子の御祈雨の雨を盗み取って「我が雨」と云々。善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵の祈雨の時も、小雨は下りたりしかども、三師ともに大風連々と吹いて、勅使をつけておわれしあさましさと、天台大師・
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(013)下山御消息 | 建治3年(’77)6月 | 56歳 | 下山光基 |