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日時もなきや。
また次に云わく「三論の道昌、法相の源仁、華厳の道雄、天台の円澄」等云々。そもそも円澄は寂光大師、天台第二の座主なり。その時何ぞ第一の座主・義真、根本の伝教大師をば召さざりけるや。円澄は天台第二の座主、伝教大師の御弟子なれども、また弘法大師の弟子なり。弟子を召さんよりは、三論・法相・華厳よりは、天台の伝教・義真の二人を召すべかりけるか。しかもこの日記に云わく「真言・瑜伽の宗、秘密曼荼羅、彼の時よりして建立す」等云々。この筆は伝教・義真の御存生かとみゆ。弘法は平城天皇の大同二年より弘仁十三年までは盛んに真言をひろめし人なり。その時はこの二人現におわします。また義真は天長十年までおわせしかば、その時まで弘法の真言はひろまらざりけるか。かたがた不審あり。孔雀経の疏は、弘法の弟子・真済が自記なり。信じがたし。また邪見の者か。公家・諸家・円澄の記をひかるべきか。また道昌・源仁・道雄の記を尋ぬべし。
「面門にわかに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云々。面門とは口なり。口の開けたりけるか、眉間開くとかかんとしけるが、誤って面門とかけるか。ぼう書をつくるゆえに、かかるあやまりあるか。
「大師、智拳印を結んで南方に向かうに、面門にわかに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云々。涅槃経の五に云わく「迦葉、仏に白して言さく『世尊よ。我今この四種の人に依らず。何をもっての故に。瞿師羅経の中のごとし。仏、瞿師羅のために説きたまわく、もし天・魔・梵、破壊せんと欲するがために変じて仏の像となり、三十二相八十種好を具足し荘厳し、円光一尋にして面部円満なること、なお月の盛明なるがごとく、眉間の毫相白きこと珂雪に踰え乃至左の脇より水を出だし、右の脇より
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |