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めて真言を得て請益し習学す。三論の道昌、法相の源仁、華厳の道雄、天台の円澄等、皆その類いなり」。
弘法大師伝に云わく「帰朝泛舟の日、発願して云わく『我が学ぶところの教法、もし感応の地有らば、この三鈷その処に到るべし』。よって、日本の方に向かって三鈷を抛げ上ぐ。遥かに飛んで雲に入る。十月に帰朝す」云々。また云わく「高野山の下に入定の所を占む乃至彼の海上の三鈷、今新たにここに在り」等云々。
この大師の徳無量なり。その両・三を示す、かくのごとくの大徳あり。いかんがこの人を信ぜずして、かえって阿鼻地獄に堕つといわんや。
答えて云わく、予も仰いで信じ奉ること、かくのごとし。ただし、古の人々も不可思議の徳ありしかども、仏法の邪正はそれにはよらず。外道が、あるいは恒河を耳に十二年留め、あるいは大海をすいほし、あるいは日月を手ににぎり、あるいは釈子を牛羊となしなんどせしかども、いよいよ大慢をおこして生死の業とこそなりしか。これをば、天台云わく「名利を邀め、見愛を増す」とこそ釈せられて候え。光宅がたちまちに雨を下らし、須臾に花を感ぜしをも、妙楽は「感応かくのごときも、なお理に称わず」とこそかかれて候え。されば、天台大師の法華経をよみて須臾に甘雨を下らせ、伝教大師の三日が内に甘露の雨をふらしておわせしも、それをもって仏意に叶うとはおおせられず。弘法大師いかなる徳ましますとも、法華経を戯論の法と定め、釈迦仏を無明の辺域とかかせ給える御ふでは、智慧かしこからん人は用いるべからず。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |