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かかる謗法の国なれば、天もすてぬ。天すつれば、ふるき守護の善神もほこらをやいて寂光の都へかえり給いぬ。ただ日蓮ばかり留まり居て告げ示せば、国主これをあだみ、数百人の民に、あるいは罵詈、あるいは悪口、あるいは杖木、あるいは刀剣、あるいは宅々ごとにせき、あるいは家々ごとにおう。それにかなわねば、我と手をくだして二度まで流罪あり。去ぬる文永八年九月の十二日には頸を切らんとす。
最勝王経に云わく「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、他方の怨賊来って、国人喪乱に遭わん」等云々。大集経に云わく「もしまた、諸の刹利国王にして諸の非法を作し、世尊の声聞の弟子を悩乱し、もしはもって毀罵し、刀杖もて打斫し、および衣鉢・種々の資具を奪い、もしは他の給施に留難を作す者有らば、我らは彼をして自然に卒かに他方の怨敵を起こさしめ、および自界の国土にもまた兵起・病疫・飢饉・非時の風雨・闘諍言訟あらしめ、またその王をして久しからずしてまた当に己が国を亡失すべからしむ」等云々。
これらの文のごときは、日蓮この国になくば、仏は大妄語の人、阿鼻地獄はいかで脱れ給うべき。去ぬる文永八年九月十二日、平左衛門ならびに数百人に向かって云わく「日蓮は日本国のはしらなり。日蓮を失うほどならば、日本国のはしらをたおすになりぬ」等云々。この経文に、智人を国主等、もしは悪僧等がざんげんにより、もしは諸人の悪口によって失にあつるならば、にわかにいくさおこり、また大風ふかせ、他国よりせむべし等云々。去ぬる文永九年二月のどしいくさ、同じき十一年の四月の大風、同じき十月に大蒙古の来りしは、ひとえに日蓮がゆえにあらずや。いおうや、前よりこ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |