229ページ
一代の勝劣を判じて云わく「第一真言・大日経、第二華厳、第三は法華・涅槃」等云々。「法華経は阿含・方等・般若等に対すれば真実の経なれども、華厳経・大日経に望むれば戯論の法なり。教主釈尊は仏なれども、大日如来に向かうれば無明の辺域と申して皇帝と俘囚とのごとし。天台大師は盗人なり。真言の醍醐を盗んで法華経を醍醐という」なんどかかれしかば、法華経はいみじとおもえども、弘法大師にあいぬれば物のかずにもあらず。
天竺の外道はさて置きぬ、漢土の南北が法華経は涅槃経に対すれば邪見の経といいしにもすぐれ、華厳宗が法華経は華厳経に対すれば枝末教と申せしにもこえたり。例せば、彼の月氏の大慢婆羅門が大自在天・那羅延天・婆籔天・教主釈尊の四人を高座の足につくりて、その上にのぼって邪法を弘めしがごとし。伝教大師御存生ならば、一言は出だされべかりけることなり。また義真・円澄・慈覚・智証等も、いかに御不審はなかりけるやらん。天下第一の大凶なり。
慈覚大師は去ぬる承和五年に御入唐。漢土にして十年が間、天台・真言の二宗をならう。法華・大日経の勝劣を習いしに、法全・元政等の八人の真言師には、法華経と大日経は理同事勝等云々。天台宗の志遠・広修・維蠲等に習いしには、大日経は方等部の摂等云々。同じき承和十三年九月十日に御帰朝。嘉祥元年六月十四日、宣旨下る。法華・大日経等の勝劣は漢土にしてしりがたかりけるかのゆえに、金剛頂経の疏七巻・蘇悉地経の疏七巻、已上十四巻、この疏の心は、大日経・金剛頂経・蘇悉地経の義と法華経の義は、その所詮の理は一同なれども事相の印と真言とは真言の三部経すぐれたりと云々。これはひとえに善無畏・金剛智・不空の造りたる大日経の疏の心のごとし。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |