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べきや。小乗の三宗はまた彼の人々の所学なり。大乗の三宗破れぬる上は、沙汰のかぎりにあらず。しかるを、今に子細を知らざる者、六宗はいまだ破られずとおもえり。譬えば、盲人が天の日月を見ず、聾人が雷の音をきかざるがゆえに、天には日月なし、空に声なしとおもうがごとし。
真言宗と申すは、日本人王第四十四代と申せし元正天皇の御宇に、善無畏三蔵、大日経をわたして弘通せずして漢土へかえる。また玄昉等、大日経の義釈十四巻をわたす。また東大寺の得清大徳わたす。これらを伝教大師御らんありてありしかども、大日経・法華経の勝劣いかんがとおぼしけるほどに、かたがた不審ありし故、去ぬる延暦二十三年七月御入唐。西明寺の道𨗉和尚、仏隴寺の行満等に値い奉って止観円頓の大戒を伝受し、霊感寺の順暁和尚に値い奉って真言を相伝し、同じき延暦二十四年六月に帰朝して桓武天皇に御対面。宣旨を下して六宗の学匠に止観・真言を習わしめ、同じく七大寺におかれぬ。
真言・止観の二宗の勝劣は漢土に多くの子細あれども、また大日経の義釈には「理同事勝」とかきたれども、伝教大師は「善無畏三蔵のあやまりなり。大日経は法華経には劣りたり」と知ろしめして、八宗とはせさせ給わず、真言宗の名をけずりて法華宗の内に入れ七宗となし、大日経をば法華天台宗の傍依の経となして、華厳・大品般若・涅槃等の例とせり。
しかれども、大事の円頓の大乗別受戒の大戒壇を我が国に立ちょう立てじの諍論がわずらわしきによってや、真言・天台二宗の勝劣は弟子にも分明におしえ給わざりけるか。ただし、依憑集と申す文に、正しく真言宗は法華天台宗の正義を偸みとりて大日経に入れて理同とせり。されば、彼の宗は天
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |