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す。華厳・三論・法相等の人々、各々我が宗の元祖が義にたがわず。最澄上人は六宗の人々の所立一々に牒を取って、本経・本論ならびに諸経・諸論に指し合わせてせめしかば、一言も答えず、口をして鼻のごとくになりぬ。天皇おどろき給いて委細に御たずねありて、重ねて勅宣を下して十四人をせめ給いしかば、承伏の謝表を奉りたり。その書に云わく「七箇の大寺、六宗の学匠乃至初めて至極を悟る」等云々。また云わく「聖徳の弘化より以降、今に二百余年の間、講ずるところの経論その数多し。彼此、理を争えども、その疑いいまだ解けず。しかもこの最妙の円宗なおいまだ闡揚せず」等云々。また云わく「三論・法相の久年の諍い渙焉として氷のごとく解け、照然として既に明らかなること、なお雲霧を披いて三光を見るがごとし」云々。
最澄和尚、十四人が義を判じて云わく「各一軸を講ず。法鼓を深壑に振るうに、賓主は三乗の路に徘徊し、義旗を高峰に飛ばすに、長幼は三有の結を摧破す。なおいまだ歴劫の轍を改めず、白牛を門外に混ず。あに善く初発の位に昇り、阿荼を宅内に悟らんや」等云々。広世・真綱二人の臣下云わく「霊山の妙法を南岳に聞き、総持の妙悟を天台に闢く。一乗の権滞を慨み三諦の未顕を悲しむ」等云々。また十四人云わく「善議等、牽かれて休運に逢い、乃ち奇詞を閲す。深く期するにあらざるよりは、何ぞ聖世に託せんや」等云々。
この十四人は、華厳宗の法蔵・審祥、三論宗の嘉祥・観勒、法相宗の慈恩・道昭、律宗の道宣・鑑真等の漢土・日本の元祖等の法門、瓶はかわれども水は一なり。しかるに十四人、彼の邪義をすてて伝教の法華経に帰伏しぬる上は、誰の末代の人か「華厳・般若・深密経等は法華経に超過せり」と申す
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |