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て月氏に入り同十九年にかえりしが、月氏の仏法尋ね尽くして法相宗と申す宗をわたす。
この宗は天台宗と水火なり。しかるに、天台の御覧なかりし深密経・瑜伽論・唯識論等をわたして「法華経は一切経には勝れたれども、深密経には劣る」という。しかるを、天台は御覧なかりしかば、天台の末学等は智慧の薄きかのゆえに、さもやとおもう。また太宗、賢王なり。玄奘の御帰依あさからず。いうべきことありしかども、いつものことなれば、時の威をおそれて申す人なし。法華経を打ちかえして「三乗真実・一乗方便・五性各別」と申せしことは、心うかりしことなり。天竺よりはわたれども、月氏の外道が漢土にわたれるか。「法華経は方便、深密経は真実」といいしかば、釈迦・多宝・十方の諸仏の誠言もかえりて虚しくなり、玄奘・慈恩こそ時の生身の仏にてはありしか。
その後、則天皇后の御宇に、前に天台大師にせめられし華厳経にまた重ねて新訳の華厳経わたりしかば、さきのいきどおりをはたさんがために、新訳の華厳をもって天台にせめられし旧訳の華厳経を扶けて、華厳宗と申す宗を法蔵法師と申す人立てぬ。この宗は、華厳経をば「根本法輪」、法華経をば「枝末法輪」と申すなり。南北は「一華厳、二涅槃、三法華」、天台大師は「一法華、二涅槃、三華厳」。今の華厳宗は「一華厳、二法華、三涅槃」等云々。
その後、玄宗皇帝の御宇に、天竺より善無畏三蔵、大日経・蘇悉地経をわたす。金剛智三蔵、金剛頂経をわたす。また金剛智三蔵の弟子あり、不空三蔵なり。この三人は、月氏の人、種姓も高貴なる上、人がらも漢土の僧ににず、法門もなにとはしらず後漢より今にいたるまでなかりし印と真言という事をあいそいてゆゆしかりしかば、天子こうべをかたぶけ、万民掌をあわす。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |