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し後代に伝えんと欲せば、よろしく卑賤の倭言を改め、漢字を用いるべし云々。
日興云わく、夫れ、竜樹・天親は即ち四依の大士にして、円頓一実の中道を申ぶといえども、しかも権をもって面となし実を隠して裏に用いる。天台・伝教はまた五品の行位にして、専ら本迹二門の不同を分かち、しかも迹を弘め衆を救い、本を残して末に譲る。内鑑はしかりといえども外には時の宜しきに適うかの故に、あるいは知らざるの相を示し、あるいは知ってしかもいまだ闡揚せず。しかるに、今、本迹両経共に天台の弘通と称するの条は、経文に違背し、解釈は拠りどころを失う。所以は、宝塔三箇の鳳詔に驚き、勧持二万の勅答を挙げて、この土の弘経を申ぶといえども、迹化の菩薩に許さず。過八恒沙の競望を止めて、「汝等がこの経を護持せんことを須いじ」と示し、地涌千界の菩薩を召して、「如来の一切の所有の法」を授く。迹化・他方の極位すら、なお劫数の塵点に暗し。「止みね。善男子よ」の金言に、あに幽微の実本を許さんや。本門五字の肝要は上行菩薩の付嘱なり。誰か胸臆なりと称せんや〈委細は文のごとし。経を開き見るべし〉。
次に、天台大師、経文を消したもうに、「如来これを止めたもうに、およそ三義有り。汝等各々に自ら己が住有り。もしこの土に住せば、彼の利益を廃せん。また他方はこの土に結縁のこと浅し。宣授せんと欲すといえども、必ず巨益無からん。またもしこれを許さば、則ち下を召すことを得ず。下もし来らずんば、迹をば破することを得ず、遠をば顕すことを得ず。これを、三義もて如来これを止めたもうとなす。下方を召して来らしむるに、また三義有り。これ我が弟子、応に我が法を弘むべし。縁の深広なるをもって、能くこの土に遍して益し、分身の土に遍して益し、他方の土に遍して益
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(455)五人所破抄 |