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間おそろし、止めんとすれば仏の諫暁のがれがたし。進退ここに谷まれり。
むべなるかなや、法華経の文に云わく「しかもこの経は、如来の現に在すすらなお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや」。また云わく「一切世間に怨多くして信じ難し」等云々。
釈迦仏を摩耶夫人はらませ給いたりければ、第六天の魔王、摩耶夫人の御腹をとおし見て、我らが大怨敵、法華経と申す利剣をはらみたり、事の成ぜぬ先にいかにしてか失うべき。第六天の魔王、大医と変じて浄飯王宮に入り、御産安穏の良薬を持ち候大医ありとののしりて、毒を后にまいらせつ。初生の時は石をふらし、乳に毒をまじえ、城を出でさせ給いしには黒き毒蛇と変じて道にふさがり、乃至提婆・瞿伽利・波瑠璃王・阿闍世王等の悪人の身に入って、あるいは大石をなげて仏の御身より血をいだし、あるいは釈子をころし、あるいは御弟子等を殺す。これらの大難は皆、遠くは法華経を仏世尊に説かせまいらせじとたばかりし「如来の現に在すすらなお怨嫉多し」の大難ぞかし。これらは遠き難なり。近き難には、舎利弗・目連・諸大菩薩等も四十余年が間は法華経の大怨敵の内ぞかし。
「いわんや滅度して後をや」と申して、未来の世にはまたこの大難よりもすぐれておそろしき大難あるべしととかれて候。仏だにも忍びがたかりける大難をば、凡夫はいかでか忍ぶべき。いおうや、在世より大いなる大難にてあるべかんなり。いかなる大難か、提婆が長三丈広さ一丈六尺の大石、阿闍世王の酔象にはすぐべきとはおもえども、彼にも過ぐるべく候なれば、小失なくとも大難に度々値う人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候わめ。
付法蔵の人々は四依の菩薩、仏の御使いなり。提婆菩薩は外道に殺され、師子尊者は檀弥羅王に頭
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |