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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(422)

大果報御書

 者どもをば少々はおいいだし、あるいはきしょうかかせて、ほうにすぎて候いつるが、七月の末・八月の始めに所領かわり、一万余束の作毛おさえかられて山やにまどい候ゆえに、日蓮房をぼうじつるゆえかとののしり候上、御かえりの後、七月十五日より已下、いしばいと申す虫ふりて、国大体三分のうえそんじ候いぬ。おおかた人のいくべしともみえず候。これまで候おもいたたせ給う上なに事もとおもい候えども、かさねての御心ざし、ほうにもすぎ候か。
 なによりもおぼつかなく候いつることは、とののかみの御気色いかんがとおぼつかなく候いつるに、なに事もなきこと、申すばかりなし。
 こうらい・むこのこと、うけたまわり候いぬ。「なにとなくとも、釈迦如来・法華経を失い候いつる上は、大果報ならば三年はよも」とおもい候いつるに、いくさ・けかちつづき候いぬ。国はいかにも候え、法華経のひろまらんこと疑いなかるべし。
 御母の御事、経をよみ候事に申し候なり。この御使い、いそぎ候えば、くわしく申さず候。恐々謹言。