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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 夫れ、まず法華経の即身成仏の法門は、竜女を証拠とすべし。提婆品に云わく「須臾の頃において、便ち正覚を成ず」等云々。乃至「変じて男子と成る」。また云わく「即ち南方の無垢世界に往く」云々。伝教大師云わく「能化の竜女に歴劫の行無く、所化の衆生もまた歴劫無し。能化・所化ともに歴劫無し。妙法経力もて即身成仏す」等云々。
 また法華経の即身成仏に二種あり。迹門は理具の即身成仏、本門は事の即身成仏なり。今、本門の即身成仏は「当位即ち妙なり。本有にして改めず」と断ずるなれば、肉身をそのまま本有無作の三身如来と云える、これなり。この法門は一代諸教の中にこれ無し。文句に云わく「諸教の中においてこれを秘して伝えず」等云々。
 また、法華経の弘まらせ給うべき時に二度有り。いわゆる、在世と末法となり。修行にまた二意有り。仏世は純円一実、滅後末法の今の時は一向本門の弘まらせ給うべき時なり。迹門の弘まらせ給うべき時は、すでに過ぎて二百余年になり、天台・伝教こそ、その能弘の人にてましまし候いしかども、それも、はや入滅し給いぬ。日蓮は、今、時を得たり。あにこの所嘱の本門を弘めざらんや。本迹二門は、機も法も時も遥かに各別なり。
 問うて云わく、日蓮ばかりこのことを知るや。
 答えて云わく「天親・竜樹、内に鑑みるに泠然たり」等云々。天台大師云わく「後の五百歳、遠く妙道に沾わん」。伝教大師云わく「正像やや過ぎ已わって、末法はなはだ近きに有り。法華一乗の機、今正しくこれその時なり。何をもってか知ることを得る。安楽行品に云わく『末世の法滅せん