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類は、異体同心なれば、人々すくなく候えども、大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚え候。悪は多けれども、一善にかつことなし。譬えば、多くの火あつまれども、一水にはきえぬ。この一門も、またかくのごとし。
その上、貴辺は、多年としつもりて奉公法華経にあつくおわする上、今度はいかにもすぐれて御心ざし見えさせ給うよし、人々も申し候、またかれらも申し候。一々に承って、日天にも大神にも申し上げて候ぞ。
御文はいそぎ御返事申すべく候いつれども、たしかなるびんぎ候わで、いままで申し候わず。べんあざりがびんぎ、あまりそうそうにてかきあえず候いき。さては、各々としのころいかんがとおぼしつるもうこのこと、すでにちかづきて候か。我が国のほろびんことはあさましけれども、これだにもそら事になるならば、日本国の人々いよいよ法華経を謗じて、万人無間地獄に堕つべし。かれだにもつよるならば、国はほろぶとも謗法はうすくなりなん。譬えば、灸治をしてやまいをいやし、針治にて人をなおすがごとし。当時はなげくとも、後は悦びなり。
日蓮は法華経の御使い、日本国の人々は大族王の一閻浮提の仏法を失いしがごとし。蒙古国は雪山の下王のごとし。天の御使いとして、法華経の行者をあだむ人々を罰せらるるか。また現身に改悔をおこしてあるならば、阿闍世王の仏に帰して白癩をやめ、四十年の寿をのべ、無根の信と申す位にのぼりて、現身に無生忍をえたりしがごとし。恐々謹言。
八月六日 日蓮 花押
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(398)異体同心事 |