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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(395)

大白牛車御消息

 弘安4年(ʼ81) 60歳

 そもそも法華経の大白牛車と申すは、我も人も法華経の行者の乗るべき車にて候なり。彼の車をば、法華経の譬喩品と申すに懇ろに説かせ給いて候。ただし、彼の御経は、羅什、略を存するの故に、委しくは説き給わず。天竺の梵品には、車の荘り物、その外、聞・信・戒・定・進・捨・慙の七宝まで委しく説き給いて候を、日蓮あらあら披見に及び候。
 まず、この車と申すは、縦広五百由旬の車にして、金の輪を入れ、銀の棟をあげ、金の縄をもって八方へつり縄をつけ、三十七重のきだはしをば銀をもってみがきたて、八万四千の宝の鈴を車の四面に懸けられたり。三百六十ながれのくれないの錦の旛を玉のさおにかけながし、四万二千の欄干には四天王の番をつけ、また車の内には、六万九千三百八十余体の仏菩薩、宝蓮華に坐し給えり。帝釈は諸の眷属を引きつれ給いて千二百の音楽を奏し、梵王は天蓋を指し懸け、地神は山河・大地を平等に成し給う。故に、法性の空に自在にとびゆく車をこそ、大白牛車とは申すなれ。
 我より後に来り給わん人々は、この車にめされて霊山へ御出であるべく候。日蓮も同じ車に乗って御迎えにまかり向かうべく候。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
    日蓮 花押