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きと思う心に、今まで退転候わず。
しかるに、在家の御身として、皆人にくみ候に、しかもいまだ見参に入り候わぬに、いかにと思しめして御信用あるやらん。これひとえに過去の宿植なるべし。来生に必ず仏に成らせ給うべき期の来ってもよおすこころなるべし。その上、経文には、鬼神の身に入る者はこの経を信ぜず、釈迦仏の御魂の入りかわれる人はこの経を信ずと見えて候えば、水に月の影の入りぬれば水の清むがごとく、御心の水に教主釈尊の月の影の入り給うかとたのもしく覚え候。
法華経の第四の法師品に云わく「人有って仏道を求めて、一劫の中において、合掌し我が前に在って、無数の偈をもって讃めば、この讃仏に由るが故に、無量の功徳を得ん。持経者を歎美せば、その福はまた彼に過ぎん」等云々。文の意は、一劫が間教主釈尊を供養し奉るよりも、末代の浅智なる法華経の行者の上下万人にあだまれて餓死すべき比丘等を供養せん功徳は勝るべしとの経文なり。一劫と申すは、八万里なんど候わん青めの石をやすりをもって無量劫が間するともつきまじきを、梵天三銖の衣と申してきわめてほそくうつくしきあまの羽衣をもって、三年に一度下ってなずるに、なでつくしたるを一劫と申す。この間、無量の財をもって供養しまいらせんよりも、濁世の法華経の行者を供養したらん功徳はまさるべきと申す文なり。
このこと信じがたきことなれども、法華経はこれていにおびただしくまことしからぬ事どもあまたはんべり。また信ぜじとおもえば、多宝仏は証明を加え、教主釈尊は正直の金言となのらせ給う。諸仏は広長舌を梵天につけぬ。父のゆずりに母の状をそえて賢王の宣旨を下し給うがごとし。三つこれ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(373)松野殿御消息(一劫の事) | 建治2年(’76)2月17日 | 55歳 | 松野六郎左衛門 |