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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

くる人も候わぬに、ほととぎすにつけての御ひとこえ、ありがたし、ありがたし。
 さては、あつわらの事、こんどをもっておぼしめせ。さきもそら事なり。こうのとのは、「人のいいしにつけて、くわしくもたずねずしてこの御房をながしけること、あさまし」とおぼして、ゆるさせ給いてののちは、させるとがもなくては、いかんがまたあだせらるべき。
 すえの人々の、法華経を心にはあだめども、うえにそしらばいかんがとおもいて、事にかずけて人をあだむほどに、かえりてさきざきのそら事のあらわれ候ぞ。これはそらみぎょうそと申すことは、みぬさきよりすいして候。さどの国にても、そらみぎょうそを三度までつくりて候いしぞ。
 これにつけても、上と国との御ため、あわれなり。木のしたなるむしの木をくらいたおし、師子の中のむしの師子を食らいうしなうように、守殿の御おんにてすぐる人々が、守殿の御威をかりて、一切の人々をおどし、なやまし、わずらわし候うえ、上の仰せとて法華経を失って、国もやぶれ、主をも失って、返って各々が身をほろぼさんあさましさよ。
 日蓮はいやしけれども、経は梵天・帝釈・日月・四天・天照太神・八幡大菩薩のまぼらせ給う御経なれば、法華経のかたをあだむ人々は、剣をのみ、火を手ににぎるなるべし。これにつけても、いよいよ御信用のまさらせ給うこと、とうとく候、とうとく候。
  五月三日    日蓮 花押
 窪尼御返事